サマーコンプレックス
また夏が来てしまうので憂鬱である。
梅雨はジメジメして蒸し暑いし、梅雨が明ければ気が狂ってるのかと思うくらい毎年暑い。だが、夏が憂鬱なのはそれだけが理由ではないように思う。
三秋縋という小説家をご存知だろうか?
元々2ちゃんねるでげんふうけいという名前のss書きで、今はメディアワークス文庫でちょこちょこ本が出ている。
救われないことによって救われるような優しいバッドエンドが特徴的で、一度バッドエンドでなかった時など一旦本を閉じて著者名を確認してしまったほどハッピーな終わり方を書かない方である。まあ大抵本人達だけは幸せそうであったりもするのだが。
閑話休題。その三秋さんがツイッターでふと提唱した概念がサマーコンプレックスである。間違いがあるかもしれないので興味がある方は是非調べていただきたいが、夏になると憂鬱である。という人に話を聞いていくと皆「正しい夏」を送ったことがないというのだ。
この「正しい夏」という概念は本当に人によって千差万別だと思うが、正しい夏を送ったことがないという感覚は我ら根暗にある程度共通すると思う。
特に青春の時期の話だと思うが、私にとっての夏は友人と家でゲームをし続けるか、病院の白い天井を眺めるかが主であった。
友人や恋人と花火を見たり、海に行ったり、そういうキラキラした夏を嫌って生きてきたし、成人後友人達と花火に行ったときその空間を感じるだけで気分が悪くなったほどの筋金入りである。
こんな自分は間違っていると思うし、ずっと思っている。そんなに恵まれてないわけではないが、虚無感に苛まれて久しい。あまりにもやるせない劣等感コンプレックスである。
エンジョイ勢に侵略される
昔からポケモンがそれなりに好きだ。xyまでは通信対戦でレートにも潜っていたし、今のusumはやっていないがソードシールドからは復帰する予定である。
ガチ勢とまでは言えないが、そこそこである。厳選が面倒なので対戦動画をよく見るエアプ勢でもある。
ところで、ポケモンgoブームやピカブイ発売、最近では映画版ピカチュウなど、対戦をメインとしていないポケモンファンがツイッターなので事あるごとに読みやすい漫画や絵などの方式でポケモン愛をバズらせている。
もちろん、ポケモンというコンテンツにおいて非常にいいことだとは思う。
しかし、このエンジョイ勢達のツイートが伸びているのを見るにつけ、自分が否定されているような感覚に陥り、危害を加えられているわけでもないのに強い憤りを覚える。これはほとんど病気と言っていいだろう。
エンジョイ勢にもガチ勢にもなりきれない自分は、ガチ環境が盛り上がっていることによりアイデンティティを保っている。という側面もあるかもしれない。
また、共にポケモンを遊んでいた友人に「お前はポケモンを数字でしか見ていない!」と糾弾されたことがトラウマになっているというのもあるだろう。
いずれにせよ生きづらい性質なので早急になんとかしたいのだが、反射的に沸く怒りは如何ともしがたいものがある。問題はまあまあ根深いだろう。
どうでもいいことだがエンジョイ勢って字面「勢」の字浮きすぎじゃない?
ガチ勢は割としっくりくる気がするのですが。
まあまあのデブ
私はまあまあのデブである。具体的に言うと170未満の身長に体重が90kgある。それなり、まあまあ、そこそこのデブである。
体型としては主に腹が出ている。意外と顔まわりの肉はマシな方だが、文句のつけようがないほどに完全なる中年太りである。
そんな私なので、周りからはさんざっぱらイジられる。あだ名は10個超えたあたりから数えなくなったし、全てのあだ名を把握している人間は存在しない。
まあ、空気を読む能力が著しく低い典型的なコミュ症である自分はそれにあぐらをかき、たまにイラつきながらもそれなりに楽しく過ごしている。まさにデブは最強のコミュニケーションツールである。
さて、そんな私であるがたまに「いや、お前もなかなかやろ!」というような小デブに強めにイジられることがある。こうなると微妙に納得いかない部分が出てくる。
また、同じくらいのデブと共により凄い大デブへあそこまでじゃないとやいやい言い合うこともある。お察しの通りだと思うがだから痩せないのである。
ここで一つの仮説が立つ。デブとは自分より少し大きなデブを見て安心し、仲間と共有することにより痩せなければという現実から目を背ける生き物ではないだろうか。
あまり改善する気はないが、これは由々しき事態である。
この現象はデブに限らずあらゆるところで起きていると思う。ある種、人間とは上手くできた生き物なのだろう。
なんにせよこうやってやたらと分母を大きくするような表現は避けるべきだし、今電車の中でこれを書くのに夢中になりすぎてズボンのチャックが空いているのに気づかなかった。
誰も気づいていないことを願う。