酔っていれば痛くなる

どうしようもないくらいに不安になる日がある

 

30もとうに過ぎて、当たり前にいつか死ぬことがわかっていて、何者でもない自分を突きつけられながら日々を生きている

 

楽しいと思えることもあるし、変わり映えもしない日々なりに色んな感情を経験して、それでもなお何かが足りないような気がしている

 

もう若い子にはおっさんと呼ばれてもおかしくない年なのに、未だに中学生みたいな悩みを抱えて、厨二病的な痛さを持て余している

 

何かはわからないけど、何かは頑張ろうとしているし、こんなブログにこんな恥を晒していて痛いなぁとも思うけれども

 

まあ、何もないよりはいいか、とも思うのだ

 

 

書き散らし

特に面白いこともなく、面倒に感じる日々は自分のせいなのだろうか

 

厳密に言えば、楽しいことがないわけでもないのだが、思いっきり楽しめるようなことも、その気力もなくなってきている

 

仕事では人間関係に悩まされ、モチベーションの維持は難しい

生活していくのにはそこまで困らないが、給料も待遇も良くはなく、将来性は皆無だ

 

総じて、悪くはない人生だと思う

あとは、何か目的意識を持って出来ることがあるといい

それは分かっているのだが

 

今日は急に寒くなって、灰色に白が混じる空は、見上げると思ったよりも明るくて、目に痛い

 

 

 

 

書き散らし

特に面白いこともなく、面倒に感じる日々は自分のせいなのだろうか

 

厳密に言えば、楽しいことがないわけでもないのだが、思いっきり楽しめるようなことも、その気力もなくなってきている

 

仕事では人間関係に悩まされ、モチベーションの維持は難しい

生活していくのにはそこまで困らないが、給料も待遇も良くはなく、将来性は皆無だ

 

総じて、悪くはない人生だと思う

あとは、何か目的意識を持って出来ることがあるといい

それは分かっているのだが

 

今日は急に寒くなって、灰色に白が混じる空は、見上げると思ったよりも明るくて、目に痛い

 

 

 

 

飽きる時は早いし極端にやらなくなる

このブログの最終更新がいつのまにか10日以上前になっていた。当初は少なくとも週3くらいで更新しようと思っていただけに、自分の飽きの早さにあらためて驚いている。

昔から熱しやすく冷めやすいタイプで、一気にハマったものもある程度すると飽きてやらなくなる。なにかしらはちゃんと続けたいと思っているのだが、なかなか続かない。

とにかく書くことを重視するつもりだったのだが、自分の文章力のなさや面白みのなさに嫌気が差す。思ったよりはとりあえずで色々書けるなと思うが、継続するとなるとまあまあしんどい。

手軽に承認欲求を満たしたいと思うならもっと他にやり方があるだろうとも思うが、いやいやもっと気高いなにかでありたいと心の何処かで叫んでいたり、自分の作り出すものが特別で誰からも認められるものでありたいと努力する気もないのに思っていたりするのだ。

しかし案外今のそんなに代わり映えのしない生活にも満足しているのかもしれない。すっかり暑くなってしまったのでガリガリ君のなし味は美味しくて、なんとなく抱える虚しさと一緒にふわふわ生きている。

なろう系は架空の世界のエッセイではないか?

なろう系、と言われる小説群がある。はっきりとした定義があるかといえば人によって少しイメージは違うかもしれない。小説家になろうというサイトで人気のテンプレートをある程度踏襲した小説群、とすればあまり説明にはなっていないがなんとなくの定義となるだろう。

私はそんなに沢山のなろう系を読んでいるわけではないが、自分の気になった作品などは読むし、なろう系として賛美されたりバカにされたりするツイートや記事を見るのは好きなのでちょこちょこ読んでいる。

なろう系は批判的な文脈で使われることが多いように思う。曰く情景描写がない、文章力がない、主人公が努力しない、辛い展開がない、もっと過激派になると軟弱で本も読めないバカが気持ちよくなるために読むものだなどと言われるような一部に非常に嫌われているものでもある。

実際テンプレートから外れたものが人気になったりもしているのでそもそも一概にくくれるものでもないような気もするが、小説として読んだ時に強く違和感を感じるものが多いのも確かかもしれない。

精神のポルノという表現が個人的には一番しっくりくるが、これを架空の世界のエッセイないしブログなどと同じ感覚で読んでみると、少し印象が変わるのではないだろうか。

小説のように一冊での起承転結はないかもしれない。場面を想起させる情景描写もないかもしれない。しかし、ネットでなんとなく流れてくるブログや記事を読んで、同じ境遇の人に共感したりする時に、小説的な文章力を求めることがあるだろうか?

もちろんここまで書くと極端であって、特に書籍化して編集や校閲が入ったものはかなり文章が整えられていると思うが、なろう系にアレルギーがある方などは是非もう一度なんとなくそういう気持ちで暇つぶしにでも読んでみて欲しい。

結局のところどんな形であれ人の心を動かすことができるのが最も強いコンテンツなんだろうと最近しみじみ思う。

超ハイパースーパーメガウルトラアタック!

「能力バトルもの」と呼ばれるジャンルがある。

漫画やラノベなどで登場人物が特殊能力を用いて戦うもの全般をふわっとくくるジャンルで、学園ものだったりがっつりファンタジーだったり恋愛要素があったりSFチックだったりと色々なものがある。

男子なら多数の人々が共感してくれると信じているが、私はオリジナルの特殊能力を妄想して脳内で戦わせるのが好きだ。もうアラサーとなってしばらく経つがいまだに好きだ。

ところで、皆さんは能力バトルものの登場人物を考える時どこから考え、どのような能力にするだろうか。

私は能力から考え、それに合わせたキャラをふんわり妄想するタイプだ。キャラから考えるなりきり勢などとは価値観の相違でたまに喧嘩になることがある。

特に、能力は出来るだけ既存のものと被らず、かつ捻くれたものにしたいと思っている。西尾維新上遠野浩平を読んで育ってきたので、やはり偏屈で概念的なものが先に来るのが良い。

なおかつ、既存の能力と被らないようにしたい。既出乙と自分の心の中のオタクに言われたくないのである。そうなるとなかなか上手い能力が出てこないので延々と考え続けることになり、それがなかなかに楽しい。

結局、色々迷走した結果このタイトルのような能力を考えて満足したりもする。すごくつよいわざがすごくつよければなんだかんだそれでいいのである。

コーヒー味のチェルシー

朝、同僚から飴を二粒貰った。というか押し付けてきた。

コーヒー味のチェルシーだ。

チェルシーのアソートを買ってみんなで食べていたら、人気のないコーヒー味が残ったそうだ。なんだそれは。

試しに一粒食べてみた。なんだろう、別に不味いわけではないが、チェルシーの濃厚で甘くて美味しい感じとコーヒーが絶妙に合わない。調合を失敗したマックスコーヒーを飴にしたような変な甘ったるさがある。

確かに他の美味しいチェルシーの中にこれがあったら取らないなと思った。ただ貰って怒るようなことでもない。なんならいつもはゴミを押し付けられているので、飴を貰えるだけマシとも言える。

今、これを書きながら二粒目のコーヒー味のチェルシーを舐め終わった。自分で買うことはないだろうが、意外と悪くないかもしれないと思ったりもした。